人の数だけ、違った歩き方がある。<br>  人の数だけ、歩く理由がある。<br>  WALKS-武内英樹編- 人の数だけ、違った歩き方がある。<br>  人の数だけ、歩く理由がある。<br>  WALKS-武内英樹編-

People 2022.04.29

人の数だけ、違った歩き方がある。
人の数だけ、歩く理由がある。
WALKS-武内英樹編-

PROFILE

武内英樹(タケウチ ヒデキ)
演出家、映画監督。1966年10月9日生まれ。1990年、フジテレビに入社。ドラマ『カバチタレ!』や、ドラマ『神様、もう少しだけ』、ドラマ『電車男』、ドラマ『のだめカンタービレ』などの演出を務める。映画監督として映画『テルマエ・ロマエ』(2012年、2014年)、『今夜、ロマンス劇場で』(2018年)など手掛ける。2019年公開の『翔んで埼玉』で、『第43回日本アカデミー賞』最優秀監督賞を受賞。

はじめて立つことを覚えた瞬間。無意識に一歩踏み出す。呼吸するように当たり前に「歩く」ことを覚えたのは、いつのことだっただろう。フィールドを超え、自らの道を切り拓く人たちが「歩く」ことで出逢う感覚や景色を探る本連載。第4回目では一見すると現実離れしたコミカルな世界で描かれる真意を突いた人間ドラマに思わず心を掴まれる。そんな『のだめカンタービレ』や『テルマエ・ロマエ』シリーズを大ヒット作へと導き、実際に現地に足を運ぶリサーチを経て制作された『翔んで埼玉』では埼玉をディスるという一見タブー視されかねない物語にも関わらず、地元客からも根強く支持される、数々の名作を世に送り出す映画監督・武内英樹氏にお話を伺う。

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バックパッカーを経て。
歩くことから土地と縁ができていく。

東京都港区海岸。その名のとおり目の前には爽やかなブルーが気持ち良い水平線。お台場と芝浦を繋ぐレインボーブリッジがよく見渡せる、思わず歩き出したくなるような小春日和だ。武内英樹さんがこの辺りはよく歩く道だと待ち合わせた新日の出橋から竹芝埠頭公園を目指して歩き始める。『のだめカンタービレ』や『テルマエ・ロマエ』、『翔んで埼玉』など、武内英樹さんの映画では緻密に練られたユーモアあるストーリーとともに、一度見たら忘れられない、象徴的なシーンの多様なロケ地が印象的だ。「街を歩いていると、絵が浮かぶ」という武内さんは「歩く」ことでどんな景色を見ているのだろう。話は20代の頃、強く惹かれて巡っていた、アジアでの光景に遡った。

「20代の頃から歩くのは好きだったと思います。バックパッカーをしていた高校生や大学生の時にアメリカは一周していたのですが、卒業旅行の時に初めてタイを訪れました。そこからラオスやミャンマー、ベトナム、インドネシア、インド、ネパール……と巡るうちに、アジアをだんだん極めたくなってきて。アジアに惹かれていた理由は、おそらくノスタルジーだと思います。ふるくから縁のある土地が熊本なのですが、子供の頃に体験した田舎臭いけれど人情があったり、そんなに豊かではないんだけれど、楽しそうで人の目がキレイな感じ。そういったものが戦後、昭和の日本の原風景みたいな気がしていて、ノスタルジーに浸るようにアジアばかり巡っていたんじゃないかなと。タイはアイロニーがある人がとても多くて心に響いてくる、人間の悲哀が感じられるところに惹かれるんですよね。でも不思議なもので、はじめての場所でも歩き始めると、一気にその土地と縁ができていく。社会人になってからふらっとヨーロッパに旅行した後、『のだめカンタービレ』の撮影が決まりヨーロッパ中を旅するようになるんですけれど」

「その頃から地元の人とコミュニケーションを取るのが好きで、1人で宿泊するときは高級ホテルなどには泊まらないスタイル。ゲストハウスに泊まった方が違う国からの旅人とも仲良くなるし、そこからいろいろな価値観についても聞ける上、宿の人が地元のことを詳しく教えてくれるので。その名残もあり今でもゲストハウスばかり泊まっていますね。最近、訪れて面白かったのは宮古島の「Guesthouse Koa」。なぜかそこに泊まっている人が埼玉県出身の人ばっかりだったんですよ。聞いたらそのゲストハウスを経営しているのも埼玉県の熊谷出身の人。沖縄の「ザ・ブセナテラス」というリゾートホテルを訪れた時も、従業員の中にたくさん埼玉出身の方がいて、埼玉県民って本当に海に憧れているんだなと実感しましたね」

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翔んで埼玉。
埼玉県民に話を聞いて回った1年間。

埼玉県を舞台に関東圏の地域差を極端に描き「東京都民から迫害を受けて、身をひそめて暮らす埼玉県民」という設定で壮大な革命コメディが展開される魔夜峰央が原作の映画『翔んで埼玉』の撮影時には、制作を始める前から実際に埼玉中を回り一人ひとりに話を聞きに回っていたという武内さん。映画内には地元の埼玉県在住の人のみぞ知るような価値観がキャラクタライズされ要所に散りばめられているが、実際に歩いてみて気がつくことは多かったのだそうだ。

「『翔んで埼玉』はとにかく埼玉県民を傷つけてはいけないと思っていたので、踏み込んで良いところと悪いところの境界ってどこなんだろうと。まずは自分の身近なところから、埼玉県在住の友人に話を聞くところからはじめて、知り合いを紹介してもらいつつ、地元埼玉新聞の記者の方や県庁の人にも会いに行きました。けれど、やっぱり呑み屋が一番フラットなんですよね。本音で話してくれるので、できるだけお酒の場に誘って一緒に飲みながら温度感を探っていました。映画を作ろうと決めてから、撮影まで期間があったので、それまで1年くらいかけて地道に聞いて回っていましたね。ラジオも「NACK5」という埼玉のFMラジオ放送局があって、車を運転するときは必ず聞くようにしていて、いまだに聞いているからもう5年くらい。聞き続けていると地元の情報も結構入ってくるようになりますね」

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「埼玉県民って、ディスられ慣れているといいますか、イジられ慣れているところがあって自分達のことを卑下することがあるんだけど、実はとても郷土愛が強くて、埼玉のプライドを持っている人がとても多いんだなと感じました。一方で実際に足を運んでも、例えば、京都は誰もが観てわかるような歴史のある神社やお寺があるけれど、埼玉には突出した何かがあるわけではない。何がある?と聞かれてもいや、特に......と答えに詰まってしまう感じ。自分もデートで千葉や神奈川に行くことはあっても、埼玉に行くことはなかったなぁと。でもみんな口を揃えていうのは、住みやすいということ。東京に出るのも西武線に乗ってしまえば早いですし、池袋も15分や20分で着くので抜群に便利。ただ、池袋止まりで終わってしまう人も多くて、渋谷は敷居が高いという人もいますね。僕は千葉県民なので共感できるところがあって、東京駅まではすぐに出られるんだけど、東京駅にいてもしょうがない。渋谷に行こうとすると中央線に乗って新宿に出ないといけないから少し敷居が高いんですよね。一番近いのは錦糸町なんだけど、錦糸町に遊べる場所って少ないですし。総武線に、三鷹駅から発車する電車に「千葉行き」と書いてあったりして、随分遠くまで行くなと思うでしょ?そう思われているという劣等感があるんですよね。三鷹まで遥々千葉の空気運んでしまうのはちょっと申し訳ないな……と」

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リアリティの裏側。
数奇な歩みが味になるとき。

訪れる土地ごと、降り立つ駅ごとに異なる人たちと話をすることがとても好きなのだという武内さん。街を歩いていると、職業や出身、立場や思想も明らかに違う人たちとすれ違う。人が集まる場所にはエネルギーも集まっているようで人混みも好きなのだという武内さんが好きで通うのは三軒茶屋のデルタ地帯や高円寺や荻窪、中野など人情味が溢れる街や、地元の飲み屋さん。そんな場所での予期せぬ人との出会いや会話が、映画の脚本に生かされていることもあるのだそうだ。映画に登場する独特なキャラクターと、そこに描かれる人情ドラマには裏側がある。

「人生は小説よりも奇なりというけれども『本当にこんな人生あるの?嘘でしょ!?』と思うような暮らしをしている人っていて、自分はそういう人に惹かれるんですね。だから常に数奇な人生を辿っている人が身の回りいるかもしれません。会って直接話したり友人になることで、少なからずその人の目線から見た世界を想像することができるようになる。取材する感覚に近いですね。周りから情報を得るというより、気になったら直接本人に話を聞いてしまうので、自分の体験したことのない人の人生についての話が日々ストックされていくんです。話が注ぎ足されていくんですが、時間を経てから、それが映画の登場人物を着想することにつながることもある。すぐに何かしらのアウトプットにつながるわけではないですが、自分の中で発酵させていく感覚がありますね」

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台本は楽譜。
映画を形作るテンポの転調。

歩くこと1時間。新浜崎橋、南浜橋、竹芝ふ頭公園を経て、港町架道橋、新浜町へ。ペースを落とさず淡々と歩いていくが、気になる場所を発見すると軽やかにペースを速める。歩きながら話していても不思議と疲れを感じないのは、その息遣いや間合いが心地良いからかもしれない。武内さんの映画でも特徴的なのは、そのテンポ感だ。実はそのテンポ感は台本を書く時点で綿密に練られているのだそうだ。

「僕の映画ではアドリブはほとんどないですね。台本は設計図。台本の時点でかなり緻密に設計しているので、ほぼ一字一句変わりません。たまにアドリブで変えてくる役者さんにも、この通りにやってと伝え、間合いやテンポの指示も厳密に出します。台本には音符が並んでいると思っていて、音符をどう役者たちが奏でるか。同じテンポが続いているだけだとつまらなくて、速い中で突然ぐっと間ができたり、突然のリズムの転調がとても大事。ただ速くするのではなく強弱を必ずつけてみて、聞いていて心地の良いリズムってあるんですよ。結果的に2時間通して心地の良いリズムだと、観ていて良い映画だなと思う。映画は好きなんだけど、自分は集中力がないのもあるし暗い空間に条件反射してしまって、映画館で映画を見に行くと大体眠くなってしまう。だから映画を作るときは自分が眠くならないように作ろうと。大体この辺で自分眠くなるなというのもわかるので」

「テンポが音符のようだという感覚は「カバチタレ! 」というドラマを作ったときに深津絵里さんがものすごくテンポがいいし、セリフが入ってくる。なんでだろうと思っていたら、リズムの転調が激しくて、それによって心地良いし、ちゃんと聞かせたいセリフがバチンと入ってくる。深津さんの演技を見て、あ、こうやるとみんな心地よくその物語に入っていけるのかとわかったんですよね。深津絵里の芝居に教わった気がしますね。彼女がやっていたことを、今度は違う役者に指導していった。リズムがない役者はやっぱり見ていて凡庸な芝居に見えるし、上手い役者は演奏の仕方が上手ですね」

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成長している街が好き。
過去と現在の同居する風景に惹かれて。

歩いている途中にもこの場所ではこういう絵が撮れそうだと具体的にアングルやシチュエーションまで話が及んだ取材も終盤。最近『ルパンの娘』の撮影でも使われたという新浜町ガード下にも足を運んだ。再開発が進む傍ら、一歩脇道に逸れるとひっそりと、時間の流れが止まったような場所があったりする。働く人、通学する人、生活する人が足早に歩いていく街で、武内さんが足を止めたのは建設現場の前。

「なんだろう。この芝浦のあたりって再開発されている傍らに、殺風景な雰囲気が残っている。「あぶない刑事」のような昔の刑事ドラマなんか大体こういう港湾地区で撮影していて。最近は高層マンションも建ってきて住む層もだいぶ変わってきているけれど、キラキラした東京ではない、独特な味がある。今、自分の住んでいる街も絶賛工事中なのですが、建設途中の現場は好きですね。エネルギーが沸いて生きている感じがして、成長していく街を想像するとなんだかワクワクします」

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「街ですれ違う人たちを見て、俺の作品を見たことはあるのかな?と思ったりするんです。最近は滅多にないですけれど、20年くらい前までは自分の作ったドラマが放送された次の日に山手線なんかで女子高生が昨日のドラマ見た?と盛り上がっているのを見て、生の声を聞くことができてとても幸せだなと思いましたね。『のだめカンタービレ』を見てピアノをやろうと思ったという人や、指揮者になりましたという人もいたり、直接話したり知り合うことはなくても、ドラマや映画を見てくれた人の中に、1mmでも自分の思想が入って、人の人生に少しだけでも影響を与えることができたら、幸せだなと思いますね」
インタビューを終えて感じたのは、穏やかな眼差しの裏にある、街や人に向けられる洞察力の鋭さと、訪れる場所ごとに見たこと、感じたことからフレッシュに情景をとらえる姿勢。そしてこれから訪れる土地に繰り広げられるだろう、まだ見ぬドラマへの純粋な好奇心だ。今も新作映画の制作を目前に、日々異なる街に足を運んでは気になる人と会うのが日課だという武内さん。歩んでいく先に注ぎ足されていく秘伝のタレは、どんな味わいとなっていくのだろう。これから先も、目が離せない。

Photo:Kazuaki Koyama
Edit+Text:Moe Nishiyama