人の数だけ、違った歩き方がある。人の数だけ、歩く理由がある。WALKS – KOM_I編 –

People 2021.11.29

人の数だけ、違った歩き方がある。
人の数だけ、歩く理由がある。
WALKS -KOM_I編-

#WALKS,

PROFILE

KOM_I
アーティスト。1992年生まれ、神奈川育ち。ホームパーティで勧誘を受けて加入した「水曜日のカンパネラ」のボーカルとして、国内だけでなく世界中のフェスに出演、ツアーを廻る。
2019年4月3日、屋久島でのフィールドワークをもとにプロデューサーにオオルタイチを迎えて制作した音源「YAKUSHIMA TREASURE」をリリースし、公演を重ねる。2021年、新しい形の音楽体験「YAKUSHIMA TREASURE ANOTHER LIVE from 屋久島」をオンラインにて公開。(https://another.yakushimatreasure.com/)現在はオオルタイチと熊野に通いながら新作を準備中。2020年からOLAibiとのコラボレーションも始動。北インドの古典音楽や能楽、アイヌの人々の音楽に大きなインスピレーションを受けながら音楽性の幅を広げている。
音楽活動の他にも、ファッションやアート、カルチャーと、幅広い分野で活動。
2020年にアートディレクターの村田実莉と、架空の広告を制作し水と地球環境の疑問を問いかけるプロジェクト「HYPE FREE WATER」が始動するなど、社会課題に取り組むプロジェクトに積極的に参加している。

KOM_I SNS
Instagram: @kom_i_jp (https://www.instagram.com/kom_i_jp/)
Twitter: @KOM_I (https://twitter.com/KOM_I)

はじめて立つことを覚えた瞬間。無意識に一歩踏み出す。呼吸するように当たり前に「歩く」ことを覚えたのは、いつのことだっただろう。フィールドを超え、自らの道を切り拓く人たちが「歩く」ことで出逢う感覚や景色を探る本連載。第2回目は土地に足を運ぶことで古くから遺る自然や伝承、引き継がれる音楽に向き合い、言語を超えた人の身体感覚と自然物、文化との境界を行き来し、新たな音楽表現を生み出すアーティスト・コムアイさんに話を伺う。

“歩かない”という選択から
乗り物を降りて見えてきたこと。


人の数だけ、違った歩き方がある。人の数だけ、歩く理由がある。WALKS – KOM_I編 –

待ち合わせ時間は朝5時15分。現在東京と山梨との2拠点生活を送るコムアイさんに先導されながら、まだ日の上ったばかりのひんやりした空気の中、道を歩いていく。撮影は早朝の朝日の下、取材は夜の東京で話を伺った。多岐に渡る活動の中でも世界自然遺産、屋久島のあちこちを訪ねて制作されたプロジェクト「YAKUSHIMA TREASURE」をはじめ、北海道の自然と共に暮らしてきたアイヌの人々から〈ウポポ(伝承歌のひとつ)〉を習うなど、フィールドワークから独自の音楽表現を生み出す姿勢が印象的だ。しかし、そんな彼女が「歩く」ことを意識するようになったのはここ最近のこと。できることなら歩きたくない、というところからのスタートだった。

「以前から自然の中にいるのは好きでも、歩かなくてはいけない行事に意味を見出せなくて。効率重視で、気持ちの良い場所では“歩かない”という選択をしていました。もともと極度にものぐさなので、山登りもする人の気がしれないと思っていたし、車で行けるところは車で行きたいと思っていました。学生時代、大学入学祝いにロードバイクを買ってもらった当時は川崎から湘南まで自転車で、常識的な距離が分からずに何時間も漕いだりしたこともありましたが、歩くことには興味が持てなくて。電車、自転車、車……乗り物を降りて、足で歩く楽しみを知ったのはここ1-2年、最近のことです。歩くようになって気がついたのは、車で1時間の距離も1日あれば歩けるということ。車での1時間、例えばタクシーに1時間乗ると聞くと、だいぶ遠くまで行く感覚があるじゃないですか。なんとなく自転車や車、電車、乗り物に乗らないと長い距離って移動できないと思っているけど、例えば自転車も買えなくて、電車に乗るお金がなくて、車を買うお金がなかったとしても、移動はできて、旅もできる。乗り物を頼らないでもその距離を移動できるということに、人間の足ってすごいと感動して」

人の数だけ、違った歩き方がある。人の数だけ、歩く理由がある。WALKS – KOM_I編 –

人間は“動物”。
自分の足で移動することができる。

きっかけは約2年前。コロナ禍、コムアイさんにとっても生活のリズムが大きく変わる中での意識の変化だった。ちょうど同じ時期、友人から声をかけてもらい、初めて訪れたという山梨県・瑞牆山での体験が、大きな転換点になったという。それまで積極的に歩くことを避けていたというコムアイさんが、標高2230mの岩山を歩くことに至るまで、どんな心境の変化があったのだろう。

「今思えば意識が大きく変わったきっかけは、コロナ禍で世の中の動きが今までよりゆっくりになって、自分が堂々と休めるようになったこと。根はとても面倒くさがりな性格なので、積極的に自分で仕事を生み出すことはせずにサボっていて。とことん寝て、堕落した生活を送るぞ!と。寝て起きて、ゲームをして料理してお風呂に入って深呼吸して、たまに映画を見てみたり、ほぼゴロゴロしている生活。本当に好きなことしかしない。幸せになるためにゴロゴロしているんだと心の中で信じていたいところがあったんですね(笑)本当にそうだったら良かったんですが、とことんゴロゴロしても心の平穏はやってこなかった。エキサイティングなこと、自分がステージに立って火事場の馬鹿力でガンと乗り切ったりする瞬間だったり、撮影でカメラの前に立ってその瞬間だけどうにか美しいものをと、初めてするポーズを考えたり、食らいついたりしている時の方が生きている。自分が少し無理をしている時の方が生き生きしていることに気がついて。そこから、しんどいことが重要なんだと思えるようになりました。少しゼイゼイしたり、しんどいな、お腹すいた、ちょっと無理かもと思いながら登り切った山の頂上での景色ってなんて祝福なんだろうと。ヘリやロープウェイで行って同じ景色を見てもそこまで何かを感じることはできないと思うんですよ。それまでの体験やその時の心のありようを写しているものに感動しているんだなと」

人の数だけ、違った歩き方がある。人の数だけ、歩く理由がある。WALKS – KOM_I編 –

「それで初めての登山だった瑞牆山で、人間が植物と違って動物で、自分で移動する生き物だっていうことにあらためて気がついたんです。それまではお気に入りの場所があったら、車で行けば良いと思っていたんですが、自分が運動することで、必死に生きている植物や動物に少しだけ近づける気がして。たとえば凸凹したところを歩く時って、一歩一歩探るじゃないですか。足を置くところをコンマ何秒で右足はここにする、左足はここにするって決めているんですよね。すごいスピードで頭の中でシミュレーションをしていて、この石は滑りそうだな、動きそうだから危ないかもとか前の人はこう歩いているけど私はこっち側を歩こうかなとか。この歩幅だと足りるかな、この足出したら次左足どこだ、とか。ゲームをしている感じに近いかもしれません。話しながら歩いている時も、頭はずっとその計算をしてくれている。心地よく頭を使っている感覚があります。はぁはぁいいながら、本当にきついと思って立ち止まると、視界が歪む。あ、これくらい猪や鹿、植物も必死に生きているんだろうなと」

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歩くことを、
考えることの相棒のように記録する。

意識的に歩くようになったというほぼ2年前から、コムアイさんが欠かさず持ち歩くようにしているものがある。A5のルーズリーフ。罫線が入っているものと入っていない無地のもの。2種類の紙を持ち歩いて、歩きながら気がついたことや思ったことを書き記す。帰ってきたら関係性ごとに編集し、見直したいメモは手元のノートに。アーカイブは分厚いバインダーに綴じ直す。バインダーはどんどん分厚くなってきている。歩くことから表現へ。フィールドワークを経てその土地から得た情報は、どのようにコムアイさんの中で音楽表現へと紡がれていくのか、その間にはどんな過程があるのだろう。

「散歩したり、旅をしたり、動いているときは、より身の回りを観察する気がします。同じ景色も新しく見えたりする。日々の生活のいろいろな光景や音から、あ、この瞬間をこういう作品にしたい、と思いつきます。ある特定の場所と向き合うときは、その土地の人から教わったり、聞かせてもらったことが自分の身体に染み込んで、そのあと浮かび上がってくる印象も大事にしています。行く前にその場所へ抱いている印象もそれはそれで大事にしています。以前、紀伊半島の南部にある熊野古道を雨の日に9時間歩きました。その時山歩きで感じたことや頭に浮かんだ景色を毎晩、うつらうつらしながらメモしていたんですね。書いていたのは、そこで見た景色や感覚的なこと。雨の山は初めてだったので、それはそれは悲惨だろうと覚悟していたんですが、雨具を着て雨用のズボンを履いて、リュックにも雨のカバーをして。よし、雨の中で遊べる格好だ!となって歩いてみると、すっごく気持ちが良かった。森が水をごくごく飲んでいるような、水枯れの心配がない、潤って安心な状態なんだなと感じて。葉っぱも艶々して全員がピカピカしていて、上に向かって伸びている。滴が落ちるたびに葉っぱがピンピン、シダがランランはねる。生き生きしていて綺麗だし、ダストのような粉埃も全部沈んでいくから、空気も澄んでいて。なんとなく木の甘い香りがする。携帯を開かないから、何時間も歩いていると自分の中で何かを想像するしかない。そうすると見えない生き物が見えてきたりするんですよ。創り出すんですよね、自分の中から。白いもわっとしたお餅のような、なめくじに似た生き物を想像の中で描いてみたり。その質感は近寄ってみるとこんな感じで、とかって妄想したことを記していて」

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「それから、たとえば手すりが欲しいちょうど良い高さに、この道を通る人たちがみんな掴んできたんだろうという良い感じにすべすべした、剥き出しの木の根っこを見つけて。その木も生きているから掴めて、そこにいてくれて、あ、ありがとうと。その根っこに触れた時の質感で、気持ちのやりとりをしている、何かを交換している感じがして、うれしくなったりする。そんなふうに歩くこと、動いていることで見つけたり感じたことを、考えることの相棒のように記録することはすごく大事だなと思います。今日は自転車で前を走っていた友達のパンツの裾が、夜みたいな濃い青で。私の自転車のライトで漕いでいる足元が照らされていて、サテンの布地が波打っていたんです。漕ぐたびに揺れて、光に反射する夜色の波がとても良いなと。ここだけ抜き出して、映像にしたりインスタレーションにしたり、物語のどこにそれが入ったらどういう曲になるか、と考えたりしていました。そういうキラッとした瞬間ってあるじゃないですか。これ何かになりそうと思っても逃してしまうから、忘れないように。質感や色味も記録したいと思うと、どうしても写真を撮ってしまいがちだけど、自分の感じ取ったものは、スマホのメモではなくて、手で文字も足して記録しておきたいと思いますね」

人の数だけ、違った歩き方がある。人の数だけ、歩く理由がある。WALKS – KOM_I編 –

身体の声に素直になれる
体感と思考の境界が溶けていく感覚。

フィールドワークから土地の歴史、文化のリサーチを基に表現を生み出すアーティストとしての活動の傍ら、環境問題や政治経済、社会で起きているさまざまな出来事に向き合うトークイベントやカンファレンスにも登壇する。さまざまな軸で活動するコムアイさんにとって、歩くことと、音楽は離れているようでとても近い存在だと感じている。

「歩くこと、つまり風を感じて前に進んでいることってすごく健康的だ。活動で何かを達成した感覚って曖昧で、今日やっていることが確実に前に進むことにむことになっているだろうかって、そういうことでジャッジしようとすると、モヤッとすると思うんです。でも歩いていると自分が足を出したら、イコール前に進んでいるというすごくポジティブなメタファーが自分で感じ取れる。それが脳や心にとっても良い影響があるんじゃないかなと。人生って良いも悪いもなく、そういうものなんじゃないかなと思える。以前は面倒くさがりで、体を動かすことが重要だと思ったこともなかったんですけど、座って頭だけで考えていると、議論が頭でっかちになってしまったりする気がします。でも自分の足で歩いて体を動かしていると、自分らしかったり自分の気持ちに素直なアイデアが出てくる気がします。ふだん左脳的なものに偏りすぎてしまうから、歩いたりライブをしたり、音楽にふれて、動きや音の濁流の中に身を置いていると、あ、生き物だったと思い出す。脳みそに手足が生えた生き物ではなくて、身体があって、身体の意見もあるなと感じます」

人の数だけ、違った歩き方がある。人の数だけ、歩く理由がある。WALKS – KOM_I編 –

「音でコミュニケーションをしている時って違和感も込みで分かり合える感じがあるんですよね。左脳的なものと、右脳的なもの。両方のバランスをとるのが人間なので。二人三脚で進むものですね。あとは、暇で暇でしょうがないという状況が好きです。歩いている時って暇だなと思うけど、ずっと歩いているとそれをさらに超える暇がやってきて(笑)暇な状況が度を越すと、頭が思考し始める。携帯を見ながらだと、考えているようで邪魔をされてすごく浅いことしか考えられていない気がしていて。自分が生きてきてやるべきことについて漠然と考えたりします。人間の人生って暇だな、という感覚の先で考えていることの方が本質的なことに向き合えているんじゃないかな、と思いますね」

歩くことで、止まってしまっていた本質的な何かへの思考が動き始める感覚。それは山の景色が秋色に色づいていくように、身の回りの景色が彩を持っていたことを思い出す感覚に、近いのかもしれない。始終、青い空色を纏うように軽やかな足取りで歩くコムアイさんの道のりの先にあったのは、たったひとつの明確なゴールではなく、歩いている時間そのものを楽しむ穏やかな空気の流れだったように感じた。それはその土地の空気と呼応しながら引いては打ち寄せる波のような、その先もずっと連なっていく彼女の音楽にとてもよく似ていると思う。目的地は決めない。動きや音の濁流に身を任せて、直観に従う。ただ前に進む、暇の先の暇、という時間の先に、あらたな景色が広がっていく。

Photo:Atsushi Kawashima
Edit+Text:Moe Nishiyama