Story 2024.09.13
好奇心のままに、ただ前へ。
芸と創造の間にある、解き放たれる時間
– 野村萬斎 –
PROFILE
1966年、東京都出身。狂言師。重要無形文化財総合指定者。3歳で初舞台。「狂言ござる乃座」主宰。
国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、現代劇や映画・テレビドラマの主演、舞台『敦-山月記・名人伝-』『マクベス』『子午線の祀り』「能 狂言『鬼滅の刃』」『ハムレット』をはじめ、古典の技法を駆使した作品の演出など幅広く活躍。
1994年に文化庁芸術家在外研修制度により渡英。 2018年、演出・主演舞台『子午線の祀り』で毎日芸術賞千田是也賞を受賞。作品は読売演劇大賞最優秀作品賞にも輝いた。
23年には全国共同制作オペラ 喜歌劇『こうもり』演出、石川県で開催された国民文化祭「いしかわ百万石文化祭2023」で開閉会式総合ディレクターを務める。 芸術祭新人賞・優秀賞等受賞など受賞歴多数。
新しいことを恐れずに、前へ前へと進んでいく。狂言師として第一線で活躍しながら、俳優として大河ドラマに出演、舞台の演出を手掛けたかと思えば話題作『シン・ゴジラ』では、モーションキャプチャを身に着けゴジラ役もこなしたことで話題になった。
“芸”というあまりに広いくくりの中で、さまざまな壁を軽々と飛び越えて活躍を続ける野村萬斎さんにとって、歩くこと、歩みを続けることとは。その目線の先にある世界を覗いてみよう。
「歩くこと」。
それは、忙しい日々のなかで“無心”になれる瞬間
日本中を駆け巡り多忙な日々を送るなかで、何を考えどのようなシーンで歩いているのだろうか。
「狂言のすり足と違い、普通に歩くとポンポンポンってリズムがあるでしょう?その歩くリズムに乗せてお芝居のセリフを練習してますね。考えながら出てくるセリフではなくて、歩くというごく普通の動作をしながら自然に言葉が出てくるようになるのが良い訓練になるんです。
普段は、新幹線や飛行機、車で移動していることが多いのですが、そういう移動は目的地へ向かっているんですよね。移動中は仕事のアイディアを考えていることもあるけれど、歩くときは目的地もなく、仕事のことも考えず、ただ歩いている。舞台が終わった後や仕事の合間に、足袋でぎゅうぎゅうに締め付けた足をリラックスさせて、景色を見ながら歩いていると、“無”になっているんです。歩くことの良さって、そういう時間をもてることじゃないかな」
空の広がりを感じて
20代の萬斎さんが歩いたロンドンの道
「つくづく思うのは、歩かないと街の記憶って残らないということ。大阪なんて何十回と通っていますが、歩かないから全然覚えられない。だから、歩いた記憶と街の輪郭がはっきり思い浮かぶのが、今から30年も前に住んでいたロンドンなんです」
萬斎さんは1994年から95年にかけての1年間、文化庁の芸術家在外研修制度でイギリスのロイヤル・シェイクスピア・カンパニーなどに留学していた。日本に帰国したあと、萬斎さんはロンドンに凱旋公演を果たし世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任。萬斎さんの前に新たな道が開けた1年だ。
「ロンドンでは、とにかくたくさん歩いていましたね。地下鉄の間隔が短いし、地下に潜ってまた地上に出て、というのが面倒で2駅分とか3駅分とか自然と歩くようになりました。
そのときは日本を離れて勉強中で、よく本場の芝居を観に行っていたんです。住んでいたのはラッセル・スクエア駅のそば。東京でいう文京区みたいな場所です。そこから芝居をやっているピカデリーサーカスやコベントガーデンに徒歩で通っていたんですよね」
「歩いていて感じたのは『空が広いな』ということ。東京はビルが高くて空が狭いけれど、ロンドンは3階建てくらいの建物しかなかったんです。開放感を感じながら歩いていたのが今でも蘇ります」
ひぐらし鳴く道で
心を落ち着かせる開演前の時間
「日本にいるときは、ゆっくり歩く時間がなかなかない」という萬斎さん。忙しい日々のなかでも、また歩きたいと思う道について伺ってみた。
「毎年夏には薪能といって野外の舞台に立っています。寺社の能舞台が多いのですが、公演前には周囲を歩いています。ある場所では海がひたひたと満ちたり引いたりしているのを感じて、また別の場所では長い参道にある木立が素晴らしくて、ひぐらしの声なんかが聞こえてきてね。
やはり都会の喧騒のなかにいるのとは違う、心が落ち着いていく感じがします。そうして心を整えたあと、波の音や木々が風に揺れる音のある環境で、薪能の舞台に上がるというのがまた良いんですね」
60歳を前にして思う
「これからが芸の本番」
「狂言は足を見せる芸能でもあります。狂言の足の動きというと、板の上をすべるように滑らかに歩く、いわゆるすり足ですね。これを面をつけた状態でも行います。面によって眼の前はほとんど見えない状態になるので、足の感覚をたよりに動くことが身についているようです。以前、視覚障害者の方に暗闇を案内していただくというイベントに参加したことがあるのですが、狂言で面をつけているときと同じ感覚だと感じました。わたしがあまりにすいすいと進み、床の状態などを当てるもので、案内してくださった方が『宇宙飛行士以来だ』なんて言って驚いていました。それくらい、足の感覚は鋭敏になっているのでしょう」
「足は仕事道具」とも言う萬斎さんに、PEDALA SPORTSはどう感じられたのだろうか。
「ネクタイを締めずにジャケットを着ていることが多いのですが、ちょうどいいカジュアル感ですね。履いてみるとしっかり包みこまれる感覚でクッションがしっかりしているから、くたびれずに歩けそう。あと、ぼくが靴に求めるのは脱ぎ履きが楽なことなんですよ。どうしても家屋に上がることが多いから、ひもではなく着脱できるのがうれしい。忙しくてなかなか休みが取れないのですが、これを履いて秋の京都をのんびり歩いてみたいですね。京都はよく行くけれど、撮影だ、舞台だと仕事ばかりで、今ひとつ観光していないんです」
「暇があればな、とも思いますが、うちは父が93歳でまだ現役でね。『四十、五十は洟垂れ小僧で六十から芸の本番』なんていう業界なので、早くそういう境地に入りたいと思います。ぼくはいま、中間世代として技術と経験値のバランスが悪くないと思うんですよね。エネルギーもまだないわけじゃない。チャレンジ精神が旺盛なので、狂言だけでなく、ドラマに出たり、物を作ったり、演出したりね。そういう創作欲を大切にして動き続けていきたいですね」