PROFILE
1976年生まれ。国民的人気を誇るHIP HOPアーティスト。HIP HOPの殿堂「B-BOY PARK」のMCバトルで3年連続日本一の栄冠に輝く実績をもつ。BY PHAR THE DOPEST、KICK THE CAN CREWでの活動を経て、2004年にシングル「音色」でソロデビュー。2006年2月リリースの2ndアルバム「愛・自分博」はヒップホップソロアーティストとして史上初のオリコンアルバム週間ランキング初登場1位を獲得。アジア人のヒップホップアーティストとして初めて「MTV Unplugged」に出演。2013年には“9月08日”は“クレバの日”と日本記念日協会に正式認定される。2011年に初の著書『KREAM ルールなき世界のルールブック』を刊行し、2021年6月には電子書籍化。同年9月08日には、2年ぶりとなるニューアルバム「LOOP END / LOOP START」を突如配信リリース。オリコン週間デジタルアルバムランキング1位、billboard JAPAN DOWNLOAD ALBUMS1位を獲得。2023年9月08日にはデジタルシングル「Expert」をリリースし話題を呼んでいる。2024年4月小林賢太郎氏を脚本・演出に迎えコント公演とコンサート、両方の魅力を詰め込んだ、授業型エンターテインメント「KREVA CLASS – 新しいラップの教室 -」を上演。6月17日より「KREVA in Billboard Live Tour 2024」を開催し、6月18日よりソロデビュー20周年イヤーに突入。さまざまなアーティストへの楽曲提供やプロデュースを手掛け、映画や舞台出演など幅広い分野で活躍している。作詞、作曲、トラックメイク、ラップ、さらにはプロデュースまで、すべて自身でおこなう日本の音楽界最重要人物のひとり。
はじめて立つことを覚えた瞬間。無意識に一歩踏み出す。呼吸するように当たり前に「歩く」ことを覚えたのは、いつのことだっただろう。フィールドを超え、自らの道を切り拓く人たちが「歩く」ことで出逢う感覚や景色を探る本連載。第13回目でお話を伺うのは、日本屈指のヒップホップアーティストとして、他に類を見ない存在感と多才さで活躍を続け人々を魅了してきたKREVAさん。ソロデビューから独自の道を進み続けて20年。KREVAさんのこれまでの軌跡や見据えている景色についてお話を伺う。
自己と呼応する先に。
さらなる高みを目指し越境すること
刻まれた音楽が聞こえてきそうな軽快でリズミカルな歩み。しかしその一歩は、“軽やかさ”だけでは語れない。緩やかなテンポで踏み出す一歩の裏には、数々の音楽作品を生み、数え切れないほどのステージを経験し、視野を広く新たな挑戦を積み重ねてきたこれまでの日々がある。KREVAさんにとって、音楽の領域を超えて、新しい場所へ歩を進めることはどのような意味をもつのだろうか。
「言葉しかり、声しかり、音しかり。もっとできるだろう俺、みたいな気持ちがずっと自分の中にあります。自分から出てくるものが一発でベストなものであるとは自分自身が思っていない。もっとよくなる、まだまだ進めると思っている。だから自分の可能性を拡げ、器が少しでも大きくなるように色んなことに挑戦していきたいと思います」
「2024年4月に事務所から独立し『KOUJOUSHIN』という社名の会社を設立しました。向上心、それこそが俺の”ヒップホップ味”だと思っているんです。(ヒップホップは、ニューヨークはブロンクスの街角、いわゆる貧民街から生まれたストリート・カルチャーなんですが)俺自身は劣悪な生活環境や過酷な家庭環境で育ったわけではありません。それでもヒップホップを続けられているのは、自分自身に向けた『まだまだできるはず、俺はこんなもんじゃない』という、いわゆる『向上心』を表現してきたから。『それこそがお前のヒップホップだよね』と言ってもらったこともあります。最新作が最高傑作になるよう前を向いて進むのみ。その道はまっすぐだけど30度ぐらいの傾斜がついていて実は常に上り坂。そうやって自分で歩を進めていきたいですね」
“向上心”の源泉。
音楽を生み、音楽に救われること
前進し続けること。2023年9月にリリースした「Expert」では「どこに向かうかなんてのは 後でわかるから進め」という言葉を音に乗せて届ける。ソロデビューから20年。決して短くない年月のあいだ向上心を抱き続けることは並大抵のことではない。止まることなく前に進む原動力はどこから生まれているのか。
「2021年にリリースした『よ ゆ う』(from Album「LOOP END / LOOP START」収録)」の歌詞にも書いたことがあるんですが『俺の中の俺のファンが』厳しいんですよ。その程度でいいのかと毎度挑戦を強いてくる。それに加えて、何をやるにしてもすぐにできるようになる器用な人間ではないので、地道な努力を積み重ねるしかできるようになる方法はないと思っています。でもその努力自体を苦には感じていない。だから時間はかかるけれど続けていけるし、結果としてこれまでより少し上達する。もちろんその道中は前進ばかりではなく後退していることもあるかもしれないけれど、歩みを止めない限り少しずつのぼっていけるのではと」
「立ち止まることも、立ち止まりたい瞬間もあります。でも音楽をつくっていれば最終的に解決するような気がしているんです。すぐに完璧な状態に仕上がる音楽づくりなんてないから、ずっとまだまだと思いながらつくり続けて、気がつくと暗闇を抜けている。『Expert』も勢いよく進んでいこうと思いながらつくったんじゃなくて、本当に少しずつ音を触り続けて、そこから聞こえてくる言葉も待って、書いてみたら曲になって。結果として今この作品に自分自身が後押しされている。この曲が生まれなかったら立ち止まっていたかもしれないし、音に救われていると思います」
まっすぐなメッセージが連なる。しかしそれは底抜けの明るさだけで励ますような言葉ではない。寄り添うけれど、すべてを肯定しているわけでもない。背中を押してくれているようでいて、自分で波風を起こさなければと思わせる言葉の並び。「Expert」の曲の歌詞は、どのようにして生まれたのか。
「座右の銘は『行けるなら絶対行っとけ』。昔、見栄を張って格好つけていて、その頃心の奥底で感じていた恥ずかしさや悔しさのような感情って、大人になって経験を積めば消えるのかなと思っていたんですがまだ全然ある。むしろプライドが邪魔するのか気がつくと余計うまくいかなくなっていることもあるんですよ。経験をたくさん積んでおいた方がいいと思う一方で、経験してしまったからこそできなくなることがある。たとえばプールサイドで派手に転んだ奴を見てその痛さを知っていると、昔みたいにプールサイドで全力疾走できない。たとえ本物ではなくても吊り橋が壊れた映像を見てしまったら、この板も抜けるんじゃないかなと思って怖くて前に進めない。それに似たことが人生でも起きるんです。告白するタイミングは絶対に今しかないと思っても、1回告白に失敗していたら告白できない。経験が邪魔して、ときに変な理性が働いて動けないこともあるんですが、それでも言えるのは、とりあえず『行けるなら絶対行っとけ』ってこと。無理して行けと言っているわけではなく、行けると思うなら絶対行った方がいい。それを色んな角度や言葉で伝えている気がします」
上辺ではない
感情と言葉が共鳴する先に
歌詞をつくること。韻を踏むこと。ヒップホップアーティストとして数々の曲を生むKREVAさんは音楽や舞台を通じて言葉を扱う。伝えるもの、届けるもの、表すもの、記すもの、覚えておくためのもの。「言葉」とひとえに括ってもさまざまなものがある。多くの人々にとって、SNSなどを通じて言葉がより身近な存在となった現代においてKREVAさんは言葉をどのような存在としてとらえているのか。
「デビューしたての頃は、言葉をわかった気になっていたような気がします。インタビューで難しいことを聞かれても、わかったふりをして抽象的な返答をするとか。ずっと韻を踏むことを大事にして音楽制作をしてきたのですが、昔は今よりもう少し遊びの要素が強かったと思います。今は韻を踏みながらも、上辺だけではない、より伝えたいことを届けられる歌詞がつくれるようになってきたのかなと」
「心に残っている言葉や使い方はたくさんあります。一例を出すと美味しいご飯を食べに行こうとしたんだけどお金がなくて、結局牛丼屋しか行けなくて。だけど一緒に行こうとした人が牛丼『が』いいって言ってくれたんですよ。牛丼『で』いいと伝えるのとはまったく違いますよね。また今年から、読んだことのなかったいわゆる名作を読んでみようと思い、ヘミングウェイ『老人と海』や川端康成『雪国』、太宰治『斜陽』などを読んでいます。そうしたらびっくりするほど面白い。夏目漱石もさすがお札になった人だけあって文章うまいなとか。時を経て残ってきただけあるなと思いましたし、自分がこの年齢になり色んな経験をした上で読んだので余計に染みる言葉があったのだと思います」
「言葉が音をもっていると感じることが大いにあります。このメロディの譜割りだったら絶対にこの音だとハマると感じる瞬間があって。それを聞こえるまま、導かれるように音にしていきます。作曲家の久石譲さんが、映画『崖の上のポニョ』の主題歌の『ポーニョ』は上がる音程じゃなくて必ず下がる音程だからこのメロディになっていると言っていて、確かにそうだなと思ったことがあるんです。『ポーニョ』のメロディがドミという音階のように上がっていたら、ポニョという言葉自体が所有する印象とは異なります。これは言葉が音をもっていると言えると思うんです。一方で、この音にはこの言葉がドンピシャだなと感じることもあるし、韻を踏むにはこの音とこの音の組み合わせがいいとハマることもある。そういう小さな積み重ねが自分の創作の大部分だと思います」
つくり続けるために
感情を発露させて生む余白
歌詞を紡ぎ、音楽を創作し続け、ヒップホップの最前線を駆け抜けてきた20年間。自身の内面を臆面なく歌詞としてさらけ出す。その言葉が示すとおり、ここまでの道のりは決して平坦なことばかりではなかった。それでも常に人の心を打つ作品を生み出し続ける自分であるために、日頃から意識的に行っていることはあるのだろうか。
「朝は30分間ノートに言葉を書いています。入院した日も旅行先で足元に蜂が迫っていても書いていて、500日くらいは毎日続けていると思います。起きたらご飯も食べず、携帯も見ず、まずノートにすべてを書き出す。できれば家族とも話さずに集中して書きたいんですが、声をかけられることもあるのでそんな時は無言の笑みを返してね(笑)。綴る内容は脳のデスクトップに並ぶ四方山ごと。たとえば前日からの悩みや心配ごと。文房具が好きなのでそのペンの書き心地を書くこともあります。今日の手にはこのペンが馴染むなとか、結局世の中は金か、金だーーーとか。頭にあることを一度すべて書き出すことで、あらためて考え直す時間や新たな考えごとをする余白ができる。創作の前段階だと思います。コロナ禍には1時間半書いていたこともありました。夜は昔から持っていた10年日記を。以前は思いついたら書くくらいでしたがここ3年くらいは毎晩書いています」
「朝食はプロテインとバナナ、豆乳、粉の青汁スティック2本を混ぜたスムージー。3、4年間毎朝同じメニューです。それはスティーブ・ジョブズが毎日同じ服を着ていたのと同じ理由。本当に必要な時に脳を使えるよう、余計なことに頭を使わない。その後は犬とWALK。散歩は俺の仕事です。大体同じコースだけど、犬が帰りたそうだったら帰ることもあるし、違うコースを歩くこともありますね」
ジャンルから逸脱する先にも
変わらず存在するアイデンティティー
多様なジャンルへの挑戦も止まらない。新作舞台「KREVA CLASS -新しいラップの教室-」では、コント公演とコンサートの魅力を詰め込んだ授業型エンターテインメントを展開。長年の付き合いである劇作家・演出家の小林賢太郎氏を脚本・演出に迎えて挑んだ。コントとラップ、それぞれ言葉を扱うが違いは感じたのだろうか。
「小林賢太郎さんのことは一番影響を受けた人と言っても過言ではないと思います。ラーメンズ時代から活動を見ていましたし、その後も賢太郎さんのライブや舞台は欠かさず見てきました。今回が一緒につくる初めての舞台。賢太郎さんの言葉を借りると、2人が重なるところがあるとすれば『言葉が好きで、言葉で遊んでいる部分だ』と。なので言葉を軸にした舞台なんです。この舞台から学んだことはたくさんありました。音楽だとノリでなんとかなるところも、賢太郎さんのつくるコントの動作にはひとつひとつに意味がある。音楽のラップとコントのラップはアプローチが全く異なり、その伝え方、届け方を教えてもらえて、経験できて本当によかったと思っています」
舞台にはパントマイムデュオのGABEZも出演。言葉を扱うKREVAさんと身体言語を扱うパントマイムの演者GABEZが舞台で共存するなかで、GABEZの2人は言葉を発さないからこそ言葉以上に饒舌な部分もあったように感じるとKREVAさんは語る。自身だけが発話をする舞台を経て、あらためて気がついたことがある。
「今回、舞台の上で俺だけ喋る役だったわけですが。以前宮本亜門さんの舞台『SUPERLOSERZ』に出演させてもらったときも、ほかの出演者はセリフがなくダンスやアクションで芝居が進むなか、俺だけラップで喋る役だったんです。可能性を拡げるという意味で演技などにも挑戦していきたいんですが、与えられる役はいつも俺そのもの。俺は俺なんだなと思いましたね」
原点回帰の方向へ
20年の月日を経ていま奏でたい音色
DJ、ラップ、ソロ、バンド、コント、俳優、演劇舞台、プロデューサー、楽曲制作・提供などジャンルレスに活動を続けてきた。その活躍の幅は、KREVAさんの活動の多くが「ヒップホップアーティスト初」と名付けられていることからも伺える。どんな道も自分で選び、できるまで粘り進んできたこれまで。この先に見たい景色とは。
「俺は俺でしかないんだなと思うと、また1人でもステージに立てるようになりたい。ソロ活動の半分はバンドを組んで舞台に立ってきているんですけど、再び一番身軽な状態で自分だけでステージに立っても成り立つようなものにも挑戦してみたいと思います」
「今思っているのはBack to Basicじゃないけど、つくる曲も表現することも地に足ついた状態で進んでいきたい。例えば、あらためて音楽活動のはじまりでもあったDJやりたいなとか。最近は全然DJやっていないので今やったらどんな感情が出てくるのだろうと。やってみて『もっとぶちかまそうよ』と思ったら、またでっかく新しいことにトライするかもしれませんが、今は基本に立ち帰ってみたいと思っていますね」
「やっと20年。いろんなことが変わって、いろんなものがなくなって。だけど、まだ好きでよくやっているなと思います。まだまだうまくなりたいと思っているし。でも一昨年石川さゆりさんの50周年リサイタルに出演させていただいたんですが、あと30年は遠いなと思いましたね(笑)。20年前『音色』という曲でメジャーデビューをして、『音色』を1度も歌わなかった年はないと思うんです。ずっと歌える歌がつくれたことは本当にラッキーだし、自分にとって大きな財産。この先20年後にもまた歌える歌、きっと『Expert』がそうなりうる曲だと思うからしっかり歌っていけたら。そしてずっと歌い続けたいラップをたくさんつくれたらと思います」
まだ音楽が好き。20年を振り返った感想を問うと、これまでの日々を思い起こすようにゆっくりと語る。一言でまとめられるような時間ではない。長くも感じる20年の日々は、あらゆることを誤魔化さずに、手で記し、心でとらえ、地道な努力を刻んできたからこそ。それは一歩一歩をたしかに歩んできた証のように感じた。「好きならやれる」と歌うように、一日のなかで一番テンションが上がる時間はいい音楽ができたとき、それに勝るものはないと語るKREVAさんは、音楽に取り憑かれるように、音楽を通して人の心に波動をつくり、共鳴を生み、そしてまだ見ぬ自分の可能性を信じて歩み続ける。
Hair&Make-up:Ai Yuki
Photo:Sogen Takahashi
Edit:Moe Nishiyama
Text:Yoko Masuda
衣装:
シャツ・Tシャツ・ショートパンツ/すべてssstein(ENKEL / https://ssstein.com/)
シャツパーカ/IRENISA(irenisa.com)
サングラス/Oliver Peoples(Luxottica Japan Customer Service/ https://www.oliverpeoples.com/japan)